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御着城に到着しました
2013/09/28(Sat)
御着城(ごちゃくじょう)は兵庫県姫路市御国野町(みくにのちょう)御着にあります。

三木城、英賀城と並び播磨三大城と言われました。(2013.9.15撮影)


築城主:小寺政隆
築城年:1519年



JR西脇市駅標

        西脇市13時43分発に乗り(加古川で乗換)御着14時59分に着きました。(運賃820円) 

御着駅標



JR御着駅
JR御着駅です。


御着駅前看板
駅前に地図の看板があり、御着附近史蹟要図と書いてあります。


御着駅前広場
駅の北側が広場でのぼりも立っているので、すぐわかります。
ここをまっすぐ進むと十字路があります。



御着城への道
 
         十字路を右に折れます。 

御着城への道

         まっすぐ進み、天川橋を渡ります。 

御着城への道

         住宅街に入りますが、ここを左です。 

御着城への道

         左の小路に曲がります。 

御着城への道

         国道2号線につきあたりますので、歩道橋を渡るんですね。 

御着城への道

         歩道橋をあがります。バス停がありました。 

御着城への道

         歩道橋を降りるともう御着城址公園です。


黒田官兵衛顕彰碑
黒田官兵衛顕彰碑(けんしょうひ)が公園の中にありました。

黒田家は、近江国伊香郡黒田村(現滋賀県伊香郡木之本町)の出身とされます。
官兵衛の祖父である重隆(しげたか)の代に播磨に入り、御着城の城主小寺政職(こでら まさもと)に仕えました。



目薬の木
「黒田官兵衛ゆかりの目薬の木」がありました。

~信長・秀吉・家康に仕えた戦国の智将・黒田官兵衛(1546~1604)は、姫路城で生まれ、40年近くをこの播磨の地で過ごしました。司馬遼太郎の「播磨灘物語」には、官兵衛の祖父・重隆が弘峯神社(姫路市街を眼下に一望できる広峰山上にあります)で暮らしたとき、「目薬の木」で目薬を作って売り、財を成したと記されています。~ 看板より


黒田家廟所
黒田家廟所、黒田重隆(左側)と如水の母明石氏のお墓です。


姫路市東出張所 御国野公民館
公園の端にあるこのお城のような建物はなんでしょうか。
近づいてみますと…。



姫路市東出張所看板
姫路市東出張所、役所ですね。
御着城をイメージしたものらしいです。



公民館
建物の玄関にありました。
これで官兵衛さんになって写真が撮れますよ。



御国野公民館長さん
のぞいていたら「どうぞ」と中から声をかけていただきました。

この中に御国野(みくにの)公民館もあり、公民館長の竹内さんという方で写真も撮らせていただきました。
風雨の中、蕎麦打ちの練習中でしたが、いろいろ説明していただき、ほんとにありがとうございました。



公民館チラシ
掲示板に貼ってあったチラシを外して渡してくれました。
宣伝しといてくださいと言われたのですが、よく見たら25日締め切りです。
この記事をアップするのが遅くて間に合いませんでした。
すみません。

歴史ウォーキング、今からも開催されるのではと思うのですが。
小学生ボランティアガイドさんてかわいいでしょうね。
ぜひ行ってみたいです。



旧天川石橋
公民館の裏手に移築復元されている「旧天川橋」です。

昭和47年9月、天川増水のため中央部が折れて落下し、その後コンクリートの橋が新設されました。
総石造りの太鼓橋は1828年の竣工で、山陽道を往来する各藩の大名に対し、姫路藩の威信を示したもので、当時の山陽道においてはこれに必肩する石橋は無かったと言われているようです。



旧天川橋
橋の欄干というんですかね、石に文政11年(1828年)2月の文字が刻まれています。



ここから下は撮り直しに出かけた時のものです。
やはり晴れると気持ちがいいですね。(2013.9.19撮影)

御着城址碑
御着城址石碑です。
15日はうまく撮れませんでした。



駅通路のポスター
御着駅の通路に貼ってありました。


駅ホームの看板

駅ホームの看板
駅のホームに大きな看板が掲示してありました。


御国野町は町をあげて官兵衛さんを応援しているようです。
御着城址までの道のりが、官兵衛さんののぼりや道案内があるので、わかりやすく助かりました。


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