清盛ゆかりのまちを歩く-須磨
2012/10/12(Fri)
大河ドラマ「清盛」ももうすぐ終わりです。
視聴率がどうこうと言われているようですが、楽しんで見ています。
今日は須磨の方へ行ってみました。
                 (2012.10.10撮影)



山陽電車須磨寺駅前
JR須磨駅から山陽須磨寺駅まで歩きました。
「とらわれの松跡」ってどこにあるのかなと思っていたら、駅のそばにありました。
右端の小さな社です。



重衝とらわれの松跡
「重衝とらわれの松跡」
平 重衡(たいら の しげひら)は清盛の五男で明るい美男子、戦い上手だったとか。
一の谷の戦いで敗れ、敗走の途中で捕えられました。

重衡が腰を降ろした松は枯れてしまい、碑が残っているだけです。



須磨寺前商店街と山陽電車
駅前の商店街を今から須磨寺に向かって歩くのですが、振り返ると山陽電車が踏切を通過していました。


須磨寺
ゆっくり歩いて10分ほどで着きました。これは須磨寺の本堂です。(真言宗須磨寺派の大本山)
源平ゆかりの史跡がたくさんありました。



あつもり首塚
須磨寺の中にある、「敦盛公墓所(首塚)」です。


須磨寺源平の庭
「源平の庭」です。
源氏の武者、熊谷直実(くまがい なおざね)と平家の平 敦盛(たいら の あつもり)の戦いの様子を再現しています。
敦盛16歳、そりゃあ直実は子どもを思い浮かべますよね。



戦の濱碑案内と貨物列車
須磨寺を出て、山陽須磨駅まで歩きました。
途中、清盛とは直接関係のなさそうな神社などを見ながらでしたので、結構時間がかかりました。

駅から電車に乗り須磨浦公園駅で降りて、公園を一番端まで歩いて碑にたどり着きました。
JR線が海のそばを通っていて、通過する電車が公園から見えます。

貨物車が走ってきたのであわてて撮りました。



戦の濱碑
「戦の濱碑」が一の谷の激戦地であった、ここ須磨浦公園の東端に建てられています。


敦盛塚
「敦盛塚」は公園の一番西の端の駐車場を抜けたところにあり、少し迷いました。
平 敦盛は清盛の弟・経盛の末っ子で、笛の名手、青葉の笛は有名ですね。

当時16歳の平 敦盛が、熊谷直実によって首を討たれ、それを 供養するためにこの五輪塔を建立したという伝承からこの五輪塔は敦盛塚と呼ばれるようになりました。

この記事のURL | 街の風景 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
清盛七辨天(3)
2012/08/08(Wed)
清盛七辨天

1.和田宮(安全辨天)→2.真光寺(音楽辨天)→3.能福寺(清盛くん)→4.来迎寺(松王丸くん)

5.済鱗寺(勉強辨天)→6.恵林寺(運動辨天)→7.兵庫厳島神社(お洒落辨天)

8.氷室神社(恋愛辨天)→9.花隈厳島神社(健康辨天)



今回は氷室神社から花隈厳島神社までを載せました。

8.氷室神社の恋愛辨天 - 兵庫区氷室町

氷室神社は7月初めに「清盛ゆかりの街を歩く-兵庫山の手」を歩いた時に
撮ったものです。

その時恋愛辨天の看板を見て、そういえば運河のそばにいくつかあったなあと思い出しました。

それで実際に回ってみようと思って今回の七辨天めぐりになりました。



氷室神社の恋愛辨天

氷室神社の小さな鳥居
鳥居をくぐったところに氷室稲荷神社があり、この奥に氷室がありました。


氷室神社
氷室神社付近は、平教盛の別邸跡だと伝えられているようです。
福原遷都のとき、後白河法皇はこの教盛邸内に幽閉されていたとか。



フェンスのバナー
神社のフェンスに取り付けられていたバナーです。


9.花隈厳島(はなくまいつくしま)神社の恋愛辨天 - 中央区花隈町

花隈厳島神社の健康辨天

花隈厳島神社
この鳥居を見つけるまで、3人に聞きました。
駅の大きな地図を見ていたのですが、路地がいくつかあってわかりません。
おばさまが多分この辺りと連れていってくれたのですが、わからず通りがかりのおじさまに聞いてくれました。
それで3人で鳥居をめざして見つかったものの、四宮神社でした。
で、もう一人の人に聞いてやっと見つけた次第です。



花隈厳島神社
花隈厳島神社です。ビルと駐車場に囲まれてひっそりとたっていました。
花隈城跡のすぐ北側でしたが、ご近所の人もあまりご存じではないんですね。

この記事のURL | 街の風景 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
清盛七辨天(2)
2012/08/02(Thu)
清盛七辨天

1.和田宮(安全辨天)→2.真光寺(音楽辨天)→3.能福寺(清盛くん)→4.来迎寺(松王丸くん)

5.済鱗寺(勉強辨天)→6.恵林寺(運動辨天)→7.兵庫厳島神社(お洒落辨天)

8.氷室神社(恋愛辨天)→9.花隈厳島神社(健康辨天)



今回は済鱗寺から兵庫厳島神社までを載せました。

5.済鱗寺(さいりんじ)の勉強辨天 - 兵庫区兵庫町

神鉄湊川駅より南に向かってひたすら歩きました。
新開地を過ぎJR神戸線をくぐり、国道2号線に沿ったところにあります。


済鱗寺の勉強辨天

済鱗寺
空き地になっていました。パンフレットによると、先の大戦により本堂以下全てを消失し、現在は仮の本堂に阿弥陀仏像をお祀りしていますとのこと。


勉強辨天
空き地の横の方にひっそりと祀られている辨天様、地蔵尊です。


6.恵林寺(えりんじ)の運動辨天 - 兵庫区兵庫町

済鱗寺の少し北側にありました。

恵林寺の運動辨天

恵林寺
恵林寺の山門


恵林寺
境内には清盛が経ヶ島築造の際に、困難や水難を克服して無事に築造できるように祈って建てられた弁財天の社があるとのことです。


7.兵庫厳島神社(ひょうごいつくしまじんじゃ)のお洒落辨天 - 兵庫区永沢町

新開地駅より南に徒歩3分と書いてありましたが、探しながらで倍の6分はかかったと思います。


兵庫厳島神社のお洒落辨天

兵庫厳島神社

兵庫厳島神社
清盛が兵庫津の発展のために、安芸の厳島神社を勧請して創建されたそうです。


兵庫厳島神社
拝殿の隣にある淡島神社です。(医薬の租神)



この記事のURL | 街の風景 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
清盛七辨天(1)
2012/07/31(Tue)
兵庫七福神をめぐる時に、清盛七辨天(きよもりななべんてん)のいくつかも見ていました。
いつか全部見たいと思っていたので、改めてまわったのですが、季節をまちがえたかな、暑すぎましたぁ。
                            (2012年7月撮影)


「清盛七辨天」
 兵庫の港は、大輪田の泊(おおわだのとまり)と呼ばれ、平清盛はこれを改良し、更に便利な港として外国との貿易を盛んにし、兵庫に築島(経ケ島)を築きました。
1180年に清盛は安芸国の厳島神社を勧請し、このとき宮島にある七つの海岸にちなみ、兵庫に七つの辨財天をお祀りしたのがはじまりです。-パンフレットより



七辨天とのことですが、清盛くんと松王丸くんが入って9カ所ありました。
1.和田宮(安全辨天)→2.真光寺(音楽辨天)→3.能福寺(清盛くん)→4.来迎寺(松王丸くん)

5.済鱗寺(勉強辨天)→6.恵林寺(運動辨天)→7.兵庫厳島神社(お洒落辨天)

8.氷室神社(恋愛辨天)→9.花隈厳島神社(健康辨天)



まずは来迎寺まで。

1.和田神社(和田宮)の安全辨天- 兵庫区

和田神社の安全辨天
和田神社は安全辨天なので、ちょうど車のお祓いに来られている一家に会いました。


和田神社鳥居
正面からは逆光になり、中に入ったところから撮りました。
大きな鳥居は震災で倒壊、1996年に再建されたものです。



和田神社
平清盛が大輪田の泊修築の際、事業の無事と将来の繁栄を祈願し安芸の宮島より
市柿嶋姫大神(いちきしまひめのおおかみ)を勧請したとのことです。



2.真光寺(しんこうじ)の音楽辨天 - 兵庫区

真光寺の音楽辨天

真光寺
時宗の開祖、一遍上人が亡くなったところに建立された寺です。
一遍上人は「おどり念仏」という布教方法により、全国を遍歴したことで有名です。



真光寺境内
「清盛茶屋」の旗が立っていました。暑いから誰もいませんね。


3.能福寺(のうふくじ)の清盛くん - 兵庫区

能福寺の清盛くん

能福寺前の案内
前に来た時はこの案内柱はありませんでした。
大河ドラマにちなんでつくられたのでしょうか。



能福寺の兵庫大仏
兵庫大仏は、昔は奈良、鎌倉に並ぶ日本三大仏の一つといわれていたとか。


平相國廟
平相國廟(へいしょうこくびょう)、わが国唯一清盛の公墓処と看板に書いてあります。


4.来迎寺(らいこうじ)の松王丸くん - 兵庫区

来迎寺の松王丸くん

来迎寺
来迎寺、別名築島寺。
松王丸の菩提を弔うために建てられたそうです。



松王小児入海之碑
「松王小児入海之碑」
清盛が経ケ島築造をする際、暴風雨と大波のため工事が進まず、旅人を人柱にして海神の怒りをなだめようとしたとき、17歳の松王丸が代わりに自分が人柱になると願い出て、経文を記した石と共に沈みました。-パンフレットより

この記事のURL | 街の風景 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
清盛ゆかりのまちを歩く-兵庫山の手
2012/07/06(Fri)
今年の2月に、情報誌に掲載されていた
「清盛ゆかりのまちを歩く-兵庫海の手」を歩いてみました。
今度は山の手を歩いてみようと思い、雨がひと休みしているとき、出かけました。
                            (2012.7.4撮影)



熊野神社
熊野神社(兵庫区熊野町)です。「夢野の権現さん」として親しまれています。
福原遷都に際して後白河法皇が厚く信仰する熊野権現を勧請したそうです。



氷室神社
熊野神社からゆっくり坂を登って15分ほどでしたか(道をたずねながら)
氷室(ひむろ)神社に着きました。(兵庫区氷室町)
清盛が勧請した兵庫七弁天の一つを当社に祀ったとのことです。



氷室
神社の裏山に現存する氷室がありました。
大人が一人入られるくらいの大きさでした。



雪見の御所石碑
雪見御所旧跡(ゆきみのごしょきゅうせき)の石碑です。
兵庫区雪御所町(ゆきのごしょちょう)にあります。氷室神社から歩いて20分ほどでした。
清盛の別荘の雪見御所はこの付近にあったと考えられています。



清盛ラッピングバス
ちょうど清盛ラッピングバスが通ってました。


祇園神社
祇園神社(兵庫区上祇園町)、石碑から10分ほど歩きました。
階段にうっ!となりましたが、ここまで来たのだからとがんばりました。
89段、暑かったです。



祇園神社
階段を登りきったら静かな境内です。
この裏山で清盛が波の音を聞きながら、経が島築造の計画を練っていたとも伝えられています。



荒田八幡神社
荒田八幡神社(兵庫区荒田町)です。祇園神社から歩いて15分ほどでした。
福原遷都の際に安徳天皇の行在所となった神社で、記念碑も立っています。



記念碑
「福原遷都八百年記念之碑」です。


ドラマ館
ウオークの終点は、ハーバーランドのビルの中にあるドラマ館へ。
荒田八幡神社から有馬街道を南に向かって歩くこと40分、さすがに疲れました。



ドラマ館
自動ドアを入ったところにパンフレットがおいてあり、休憩コーナーもあります。
大河ドラマの映像や衣装の展示室は有料で、入館料は大人600円、小中学生300円です。
無料のコーナーをうろうろして出ました。


この記事のURL | 街の風景 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ